2007年03月30日
DV
このお話をするには、自分自身の体験を話さなければならないので
悩みましたが、夫婦間の暴力が多いようなので
今回のテーマにしました。(思い出したくない事ばかりです)
私は、22歳で7名兄弟の1人息子と結婚しました。
義父・義母・祖母・小姑6名の大家族との同居です。
もちろん、私の実母は大反対!!
私はと言うと・・3歳の頃に親が離婚し、高校1年生の時まで
母の叔母夫婦の元で生活していましたので、他人と暮らすのは
慣れていたから、それより結婚したら姉妹がたくさん出来る事がとても嬉しかった。
その頃、私は1人暮らしだったから賑やかな大家族に憧れ
自分の居場所が見付かったようで、憧れだけで嫁ぎました。
元夫は、社交的で親分肌の人だったので
帰宅はほとんど夜中があたり前。
それでも、働き者だったので結婚はこんなモノかと思っていました。
2年目を迎えた頃、元夫の姉妹・嫁いでいた長女が出産の為に里帰り(4人目の子)
次いで三女が別居の為帰って来ました。
その時から地獄の生活が始まりました。
長女と三女は、私が嫌いみたいで元夫になにやら告げ口をし、
残りの姉妹に「私とは口を利くな」と言っていました。
次女が「あなたと話をすると、お姉さんに怒られるからゴメンネ」と
言っていました。
その告げ口を信じた元夫は短気を起こす。
姉妹と仲良くやれ!!と言うのです。
当時の私の生活は・・・
朝は6時に起きて、朝食を作り洗濯・掃除・元夫の姉の子の子守。
昼食・夕食の支度。それらすべて家族全員の分が
私1人の仕事でした。
若くで嫁ぎましたので、嫁はあたり前だと何の疑問もありませんでしたが、
夕方になると毎晩晩酌をする義父の
言葉がきつく、その愚痴を聞くのも台所仕事をしているすぐ後ろの
テーブルでグチグチ言葉の暴力。
私が、家の事をやりすぎるから義母が帰ってこない・・。
そんな風なことを言い当たり散らします。
(義母は祖母と折り合いが悪く、私が嫁ぐ前からほとんど家には居なかったようです)
三女と合わないのは、彼女が妊娠した時
中絶したいからと相談され、次女と一緒に婦人科へ行き
待合室から怖くなって私が帰ってしまったから。(私は妊娠中でした。)
あの時に、私が逃げなければ今の苦労はしなかった。
あの後、三女は男を追っていき結婚・出産・そして別居。
全部が私のせいらしいのです。
そういう生活の中で、明るさだけが取柄だった私から
笑顔が消えました。
昼間は、家事・育児に追われ、夜になると
訳も無く元夫に外に連れ出され殴られる。
DVには理由などないんですよ。
ストレスの捌け口。義父も、元夫も外では良い人だから
嫌な事があると勝手な理由をつけ、家では言いたい事を言い、
殴り、スッキリして寝る。
朝になると、何もなかったようにね・・。
元夫は、すべて私が悪いと言う。
姉妹達の事も含めて。
DV夫の言い分
「話すことがあれば言え!」
答えれば「生意気だ!」と言って殴る。
黙れば「人を馬鹿にしている!」と言って殴る。
謝るのもとても上手。
離婚話が出る時、親の前では土下座も平気でするから
許してしまう。
親の反対を押し切っての結婚だったし、母親も私が高校1年の時
再婚して家庭を持っていたので、帰れないと思っていました。
それに、私は最低でも子供3名欲しかったので、
まず10年頑張ろうと思っていました。
結婚から7年後、自律神経をやられ
耳鳴り・めまい・吐き気、一日中胃が痛みます。
それでも周りは何も変わりません。
ある晩のこと、いつもの様に暴力を受け
打たれどころが悪かったのか、胃の辺りが
いつもの痛みとは違いました。
夜中、タクシーを呼び3名の子(7歳・6歳・2歳)を連れ
子供達を実家に預け、一人病院へ行き
受付をしながら気を失ったようです。
目が覚めたのは、2日後の病室のベッドの上でした。
看護婦さんに高校時代の先輩がいて、
「あと5分遅れたら、アナタは死んでいたよ。
子供が大切なら早く別れなさい!」と、涙を流しながら
言っていました。
腸が切れ、そこから出血があったそうです。
入院中、ひたすら謝る元夫に私の心はもう冷めていました。
次女の入学式がありましたので、早めに退院をした私を待っていたのは
元の生活でした。
病気をしても情けの無い人達の為に、私の人生があるはずはない!
この人達の為に、頑張る事は絶対に後悔する!
命をとられたら、子供のことも出来ない。何より子供の心を育てることなど
出来るわけが無い。
その日、離婚しようと決めました。
DV元夫ですから、すんなり離婚してくれるわけはありません。
裁判での調停離婚です。
念入りに計画を立てました。
子供を3名とも私が引き取れるような計画をです。
どういう風に離婚したかは、次回お話します。
会長
悩みましたが、夫婦間の暴力が多いようなので
今回のテーマにしました。(思い出したくない事ばかりです)
私は、22歳で7名兄弟の1人息子と結婚しました。
義父・義母・祖母・小姑6名の大家族との同居です。
もちろん、私の実母は大反対!!
私はと言うと・・3歳の頃に親が離婚し、高校1年生の時まで
母の叔母夫婦の元で生活していましたので、他人と暮らすのは
慣れていたから、それより結婚したら姉妹がたくさん出来る事がとても嬉しかった。
その頃、私は1人暮らしだったから賑やかな大家族に憧れ
自分の居場所が見付かったようで、憧れだけで嫁ぎました。
元夫は、社交的で親分肌の人だったので
帰宅はほとんど夜中があたり前。
それでも、働き者だったので結婚はこんなモノかと思っていました。
2年目を迎えた頃、元夫の姉妹・嫁いでいた長女が出産の為に里帰り(4人目の子)
次いで三女が別居の為帰って来ました。
その時から地獄の生活が始まりました。
長女と三女は、私が嫌いみたいで元夫になにやら告げ口をし、
残りの姉妹に「私とは口を利くな」と言っていました。
次女が「あなたと話をすると、お姉さんに怒られるからゴメンネ」と
言っていました。
その告げ口を信じた元夫は短気を起こす。
姉妹と仲良くやれ!!と言うのです。
当時の私の生活は・・・
朝は6時に起きて、朝食を作り洗濯・掃除・元夫の姉の子の子守。
昼食・夕食の支度。それらすべて家族全員の分が
私1人の仕事でした。
若くで嫁ぎましたので、嫁はあたり前だと何の疑問もありませんでしたが、
夕方になると毎晩晩酌をする義父の
言葉がきつく、その愚痴を聞くのも台所仕事をしているすぐ後ろの
テーブルでグチグチ言葉の暴力。
私が、家の事をやりすぎるから義母が帰ってこない・・。
そんな風なことを言い当たり散らします。
(義母は祖母と折り合いが悪く、私が嫁ぐ前からほとんど家には居なかったようです)
三女と合わないのは、彼女が妊娠した時
中絶したいからと相談され、次女と一緒に婦人科へ行き
待合室から怖くなって私が帰ってしまったから。(私は妊娠中でした。)
あの時に、私が逃げなければ今の苦労はしなかった。
あの後、三女は男を追っていき結婚・出産・そして別居。
全部が私のせいらしいのです。
そういう生活の中で、明るさだけが取柄だった私から
笑顔が消えました。
昼間は、家事・育児に追われ、夜になると
訳も無く元夫に外に連れ出され殴られる。
DVには理由などないんですよ。
ストレスの捌け口。義父も、元夫も外では良い人だから
嫌な事があると勝手な理由をつけ、家では言いたい事を言い、
殴り、スッキリして寝る。
朝になると、何もなかったようにね・・。
元夫は、すべて私が悪いと言う。
姉妹達の事も含めて。
DV夫の言い分
「話すことがあれば言え!」
答えれば「生意気だ!」と言って殴る。
黙れば「人を馬鹿にしている!」と言って殴る。
謝るのもとても上手。
離婚話が出る時、親の前では土下座も平気でするから
許してしまう。
親の反対を押し切っての結婚だったし、母親も私が高校1年の時
再婚して家庭を持っていたので、帰れないと思っていました。
それに、私は最低でも子供3名欲しかったので、
まず10年頑張ろうと思っていました。
結婚から7年後、自律神経をやられ
耳鳴り・めまい・吐き気、一日中胃が痛みます。
それでも周りは何も変わりません。
ある晩のこと、いつもの様に暴力を受け
打たれどころが悪かったのか、胃の辺りが
いつもの痛みとは違いました。
夜中、タクシーを呼び3名の子(7歳・6歳・2歳)を連れ
子供達を実家に預け、一人病院へ行き
受付をしながら気を失ったようです。
目が覚めたのは、2日後の病室のベッドの上でした。
看護婦さんに高校時代の先輩がいて、
「あと5分遅れたら、アナタは死んでいたよ。
子供が大切なら早く別れなさい!」と、涙を流しながら
言っていました。
腸が切れ、そこから出血があったそうです。
入院中、ひたすら謝る元夫に私の心はもう冷めていました。
次女の入学式がありましたので、早めに退院をした私を待っていたのは
元の生活でした。
病気をしても情けの無い人達の為に、私の人生があるはずはない!
この人達の為に、頑張る事は絶対に後悔する!
命をとられたら、子供のことも出来ない。何より子供の心を育てることなど
出来るわけが無い。
その日、離婚しようと決めました。
DV元夫ですから、すんなり離婚してくれるわけはありません。
裁判での調停離婚です。
念入りに計画を立てました。
子供を3名とも私が引き取れるような計画をです。
どういう風に離婚したかは、次回お話します。
会長
